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【新入社員時代を思い出す】

2024-06-25

1992年に野村貿易(株)に入社して1993年2月から4ヶ月余り、インドネシアのカリマンタン島にあるバンジャルマシンを中心に各地の仕入先工場に出向いて一人で商品の検品を行っていました。

今から思えば、日本も景気が良くて、工場も概ね24時間3交代制で操業していました。多くの工場が実際の製造キャパ以上に注文を受けていたので、契約した商品の出荷にも立ち会っておりそれが朝方になる事もしばしばありました。

地方の工場も多くは華人系のオーナーだったので学生時代に習った中国語は多少役に立ちましたが、現場はインドネシア語しか通じず、何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。

しかしそれでは仕事にならないので、とにかく話をしている言葉の音を聞いてCampusの小さなノートにアルファベットかカタカナでメモを取っていました。その書いたものを辞書で探し出し、意味を推測し、翌日に試しに使ってみて通じれば意味があっているという毎日を過ごしていました。

そうこうしているうちに徐々に言葉を覚えて現場の責任者ともコミュニケーションが取れるようになり、少し仕事がスムーズになってきたと感じる瞬間がありました。

最初の4ヶ月を皮切りに、日本とインドネシアを往復する生活が始まり、経験を重ねる事で仕事の内容も検品からお客様のアテンド、商品企画開発、価格交渉や契約に至る一連の仕事を任されるようになっていきました。

最初の頃に滞在していたバンジャルマシンでは、出された朝ご飯(パンと甘いコーヒー)は、部屋の扉の外に置かれていていつも蟻が集っていて払い除けなければならなかったし、サテ(焼鳥)と一緒に頼んだ白ご飯はいつも蟻と一緒に炊かれていました。それでも、太って帰って来るくらいではないとこう言った仕事はできないかもしれんません。(後で聞いた話しでは、前任者は精神的に病んでしまい退職してしていたようです。)

その頃は携帯もパソコンも無い時代でした。

連絡が必要な時は、遠距離専門の、電話センターみたいな場所があって時間単位で国際電話やファックスが使えました。報告書を書いてはそこから送る日々でした。

当時はジャカルタ、スラバヤ、メダンにオフィスがあり、そこに行けばテレックスが使えたので、ショートライティングを使って報告をしていました。(文字数で課金された為)

通常ショートライティングは英語ですが、その頃に、海外や日本に帰国した際に使っていたのがANCHAKU(安着)だったのです。

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