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貿易コラム記事

家族……と、世界。

2022-06-06

企業が掲げる経営理念には、経営者の人生経験が色濃く反映されるものです。

菱沼貿易の「信頼と尊敬を基本に国を越えて企業と企業を繋ぎ事業を創造する」というビジョンには、どのような経験、そしてどのような思いが込められているのでしょうか。

今回は、弊社代表である菱沼の家庭環境、幼少期から会社の立ち上げに至るまでの半生を、菱沼の両親に取材を行い、直接話を聞いてきました。

家族として、経営者として、そして会社としての”菱沼”が歩んできた道のりを、最も近くで見守ってきた両親の目線を交えてご紹介します。

国際金融の第一線で仕事に励む父

東京外国語大学で学生時代を過ごした菱沼の父。当時は、日中の国交回復と文化大革命への期待が高まっていた時代でした。中国の人口の多さ、そして世界中で活躍する華人の姿を目の当たりにして「中国語が役に立つ日がいずれ来る」と感じ取り、周囲に先んじて中国語を学んでいたそうです。

大学卒業後は、銀行に就職。金融の基礎を学んだ新人時代を経て、国際金融に関係する部署へと異動になりました。その後、職場で妻となる女性に出会い、ほどなくして息子の菱沼を授かりました。

菱沼の父 伸善さん

菱沼が幼稚園に行き始めた頃、香港への転勤が決まりました。当時の香港は、イギリスによる統治の下、政治的にも穏やかな時代。法律などの社会的な規制も、比較的緩やかだったそうです。香港での駐在生活を、菱沼の父は「日本と比べて、自由に仕事ができたのがよかったね」と振り返ります。「法律の範囲内であれば、自由にビジネスができた。必要以上にルールに縛られたり、周囲に監視されたりするような感じのない、いい雰囲気だった」

中国で通訳をしている様子

大学で学んだ語学を武器に、国際金融の第一線で仕事に励む日々。菱沼が「休日もほとんど家にいなかった」と語るほど仕事に励んだのは「家族の生活を支えたい。経済的な苦労はさせたくない」という一心だったのだそうです。「ハングリー精神もあったかもしれないね。でも、我々の世代はみんなそうでしょう」と懐かしげに語る菱沼の父。「今は豊かな時代になったけど、僕たちが子供の頃はおやつといってもサツマイモを食べるような時代だったから」

困難な状況にも屈しない朗らかな母

一方、菱沼の母は、3人の幼い息子、娘たちを連れて、香港へと転居することになりました。一足先に現地での暮らしを始めた夫の手を借りることはもちろんできず、転居に必要な手続き、引越しにまつわる作業…それらすべてを一人でやらなければならなかったそうです。子供たちを世話しながらの海外移住は、さぞ苦労の多かったことだろうと思いきや「特に大変とは思わなかった。とにかくやらなきゃという気持ちだったから」と事もなげに当時を振り返りました。

パスポート用の写真

「現地に日本人コミュニティもあったし、日本に帰りたくはならなかった」と語る菱沼の母は、海外生活を振り返って「結構、楽しかった」と一言。初めての土地で暮らすことに対する不安より、むしろ新天地への好奇心のほうが強かったと当時の心境を語ります。言葉の通じない環境で生活することにも屈せず、自分が知っている限りの単語を羅列するなどして乗り切ってきたのだそうです。

香港駐在時の写真

そんな彼女に、幼い頃の菱沼について話を聞くと「真面目で、聞き分けがよくて、育てやすい子だった」という答えが返ってきました。「とにかく素直で『こうするといいよ』と言えば、その通りにする。怒ったことも、心配したことも、ほとんど記憶にないくらい」そうしみじみと語っていたかと思えば「私が覚えていないだけかもしれないけど」と朗らかに笑う菱沼の母。「子育てで大切にしていたことは?」という質問には、迷わず「自然体でいること」と答えてくれました。力まずに接す母親の大らかさが、自然と子供らしい素直さを引き出していたのでしょう。

頼もしい両親の「信頼」が”菱沼”を育てた

香港で小学生時代の前半を過ごした菱沼は、その後、大阪に戻り野球に打ち込んでいました。スパルタなコーチによる指導のもと、水分補給を禁止するようなトレーニングは「下手したら死ぬほどの厳しさだった」そうです。それでもやめたいとは言えなかったのは「母親に情けないと思われたくなかったから」。幼い子供の奮闘する姿は「まだ小学生だったのに、よく頑張った」と母の心に刻まれていました。

少年野球

高校進学について考える頃、父のシンガポール駐在が決まりました。菱沼は日本に残り、全寮制の高校に進学することに。10代にして家族と離れて暮らすことになった息子を、父は「一郎なら大丈夫」、母は「一郎はやればできる子」と全面的に信頼していました。その信頼に応えるように、1年目の夏休みに自力ですべての手続きをして、従兄弟たちも連れて飛行機に乗り、シンガポールへとやってきた姿は「15歳にしてはしっかりしているな」と両親の記憶に残ったそうです。

大学卒業後、商社に就職を決めた菱沼。入社1年目の息子がインドネシアへの長期出張を命じられても、菱沼の母は「なんにも心配しなかった」と朗らかに笑います。「この子を信頼しているから、上司も『行ってこい』と言うのでしょう?それに、私だったら喜んで行くんじゃないかなと思って(笑)」こう語る母親の隣には「いい経験になればと思っていたね」と静かに微笑む父親の姿がありました。

心から息子を信頼する菱沼の両親も、商社を辞めて起業すると聞いたときは一抹の不安を感じたといいます。それでも「本人が決めたことなんだから、好きなようにやったらいい」と語る父の表情は穏やかでした。今年、創業13年目を迎える菱沼貿易。両親は、経営者となった息子へのメッセージを「健康第一。一歩一歩、確実に前へ進んで」という言葉で締めくくりました。

”菱沼”家として、共に過ごした日々。大変なことももちろんあったはずですが、昔を振り返る菱沼の父と母は、終始、楽しい思い出を語るような表情をしていました。困難な状況でも力強く歩み続ける両親。そんな頼もしい2人に、全面的に信頼されて育った息子。菱沼貿易のビジョンに掲げられた「信頼」というキーワードのルーツを探れば、菱沼を見守る父と母の明るい笑顔のもとに辿り着くのでしょう。そう実感することのできた取材となりました。

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