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23年前のインドネシアでの思い出

2017-04-13

おはようございます。

一昨日からジャカルタに来ています。

インドネシアでは、多くの思い出があるのですが、今回宿泊したホテルに由来する、
私の人生に多くの教訓を残してくれた思い出について書きたいと思います。

今回宿泊しているのは、ジャカルタですが、その思い出の舞台となったのは
インドネシア第二の都市スラバヤです。

私が会社に入社して、2年目から3年目に入る1994年4月頃ですので、
丁度今から23年前に起こった出来事です。

私は当時、インドネシアのラタン(籐)製品の輸入販売の担当をしていました。

元々、ラタンはインドネシアのカリマンタン島などで古くから栽培されており、
日本でも、1000年以上前から活用されていた素材です。
1960年代くらいまでは、日本にも多くの職人さんがいて、籠や家具などを
製造していたようですが、人件費の高騰により、生産地が台湾に移り、その後、
1988年に材料の主産地であるインドネシア政府が外貨獲得の為にラタンの
原材料の輸出を禁止にした事から、一気に生産地が台湾からインドネシアに
シフトしました。

私が一番最初にインドネシアに出張したのが、1993年2月でした。
その頃は、どこの工場も24時間3交代で製造をしている状況でした。
多くの工場は生産キャパの150%程度多く受注を抱えていた為に、契約通り
出荷されるまで、時には徹夜で工場に張り付き、出荷を見届けて朝方にホテルに
帰るという日々を過ごしていました。

特にラタン製品は春から夏に掛けて売上のピークがありましたので、年明けから
7月頃まではそんな状況でした。
一方で、一気に工場が増えた影響もあり価格競争が激しくなっていきました。

そんな背景の中で、ある会社に訪問しようと社長に連絡をとっても連絡が
取れない事態が発生したのです。そこで、自宅を訪問するとメイドさんが
「何も言わずに、数日家に帰って来ていない」と言います。
これはおかしい!となり、あっちこっち探したのですが、結局見つからず、
夜逃げした事が分かりました。夜逃げした原因は、資金繰りでした。

一方で、4月と言えばラタン製品出荷の最盛期です。
当時、私達もこの工場には多くの契約残がありましたが、この時期は
どこの工場も生産キャパ以上に受注を受けている状況ですので他社に
振り替える事ができません。
日本のお客様も入荷を前提に様々な媒体で販売を計画していましたので、
「社長が夜逃げしてしまったので、供給できません。。。」
と言える状況ではありませんでした。
かと言って、どうすれば良いのか、新人の私には良い知恵も浮かんできません。

そんな時に、当時のインドネシア現地法人の社長が一言、こう言ったのです。

「菱沼、お前が工場長になって契約残、
全部出荷せい!」

社長が夜逃げして目の前が真っ暗になりましたが、今度は頭が真っ白になりました。

たまたま、同時期に先輩も別のエリアに出張に来ていたので、スラバヤに
駆けつけてくれて、そこから奮闘劇が始まります。

他の会社は社長が夜逃げした為に諦めていますので誰も工場には来ませんでした。

私は工場に入り本当の工場長に事情を説明して受注残の製造を始めてもらいました。

すると材料や副資材(カートンボックス、ガラス板、塗料等)が不足していました。
何とか初回の出荷までたどり着き、出荷を終えると、船荷証券(BILL OF LADING)
やINVOICE、PACKING LISTを銀行に持ち込み、現金化しなければなりません。
しかし、私には、そのような資格がありません。
そこで、夜逃げした社長の実兄を探し出して、銀行に事情を説明した上で、
その方の署名(船荷証券の裏書)で、現金化を実現しました。

当時は毎週末に従業員に給料を支払っていましたので、その現金で給料を支払い、
材料や副資材メーカーに資材を発注しながら、1ヶ月余りで絶対に
出荷しなければいけない契約分(20万ドル程度)を出荷したのです。
納期に余裕のある契約残は、他のお付き合いのある工場に頼み込んで作って頂き、
完璧とは言えないものの、何とかそのシーズンをしのぐ事ができました。

朝から夜までは、その工場へ、早朝や深夜には、社長の自宅に出向き、
正に夜討ち朝駆けで社長を探していましたが、結局その社長と会う事は
できませんでした。

その当時、宿泊していたホテルが、HOTEL SAHID SURABAYAと言う
ホテルでした。現地法人の社長もスラバヤまで来てくれて夜はホテルの
部屋で一日の反省会がありシーバスリーガルを片手に叱咤激励を受けていた事が
昨日の事にように思い出されます。

今では笑い話ですが、その当時の私にとっては大変な試練でした。

誰もが諦めても仕方の無いあの状況の中で「やればできた」と言う経験が、
決して諦めないと言う今の自分をつくってくれたと考えています。

また、奇想天外とも思える発想も、実は、非常にシンプル且つ本来あるべき姿を
模索した結果から導き出されたと言う経験が今の自分の発想に大きく影響している
と考えています。

(調べてみたところ、HOTEL SAHID SURABAYAもまだ健在でした。)

菱沼貿易株式会社
菱沼 一郎

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